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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

陜西省西岳華山1



「西岳華山の旅2」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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前日に旅行社が用意してくれていた、
入山チケットとロープウェイの往復チケットを、
カメラバッグに入れ、ロープーウェイ乗り場まで、
歩いて行ったが、間もなくオートバイが、
警笛を鳴らしながら追いかけてきた。

ロープーウェイ乗り場まで500mもないが、
ホテルのサービスなのだろうと思ったが、
オートバイの後に乗ることは気が引け断った。

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何度も、乗って下さいと懇願されたが、
手を横に振り断った。オートバイの人も、
仕方なくオートバイを押して私に付き添った。

ゴンドラ乗り場へ着くと握手をして若い運転手は、
大きなエンジン音を轟かせながら急ぎ去った。

ゴンドラ乗り場では150人ほどの人が待っていた。
20分ほどしてゴンドラに乗ることができた。

私は一人だったので、2人と3人のグループに、
紛れ、15人ほど追い越し乗ることができた。

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「西岳華山の旅3」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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陝西省華山山麓のホテルに泊まり、
ロープーウェイで北岳の降り場へ来た。

ロープーウェイの長さは1500mだが、
8分ほどで北岳に着いた。

右へ登れば北岳頂上へ向かい、
左へ向かえば西岳への険しい山道。

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写真は、北岳のロープーウェイ駅付近。

お茶飲み場で休憩してからとも思ったが、
時間も昼過ぎになっていたので、
華山の険しい山肌を撮影し、先を急いだ。

中国五岳の中では、一番険しい山として、
知られているが、この時点では、
その険しさのほどを知らなかった。

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「西岳華山の旅4」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山の6人乗りロープーウェイから、
中国人を押しのけ、外の景色を撮影した。

私が日本人と知っていたので、日本人に、
対してあまり良い印象は持たなかったかも、
知れないなどと思ったりもした。

「智取華山路」と岩肌に掘られた文字。
中華民国時代から華山は軍の計略で、
攻め取った華山路と戦いに取っては、
譲れない華山の路だったようだ。

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中国では各地の岩肌に文字が彫られている。
しかし、現在では勝手に文字を彫れば、
重い罪に罰せられ、法律で禁じられている。

「五岳華山険居首」と掘られた文字。
華山は五岳の中で険しい山第一である。

ロープーウェイの中から撮影し、150mほどの、
距離があるので、実際の文字の大きさは、
分らないが、かなり大きく彫られている。

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「西岳華山の旅5」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山には、北峰、南峰、西峰、東峰がある。
ロープウェーは北峰が終点である。

北峰へも自分の足で登らなければならない。
久しぶりの山であったが、何となく、
ハイキング気分で出発したので、
誤算が生じたが、一番の誤算は足であった。

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中国人ガイドらしき女性が、説明しているのを、
少しの間、聞いていたが、どんな事があっても、
一人で山に登らないようにと説明していた。

また西岳華山は中国五岳の中で一番険しい山で、
急な所は鎖につかまり登らないと危ない。

手袋をロープーウェイ乗り場でも売っていたが、
ここでも買えるので買っておけば役に立つと、
私も、その言葉につられて軍手を買った。

鎖が錆びついて、その錆が手に刺さることや、
手が汚れることを避けるためだと話していた。

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「西岳華山の旅6」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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北峰のロープーウェイ降り場にて、
これから登る西峰方向の岩肌を撮影した。

ゴンドラには、朝早くから登山した人達が、
既に登山を終え降りて行く所もみられた。

朝7時から登って来れば、ゆっくり登っても、
4時間で登ってこれるが、私は山麓ホテルに、
宿をとっていたが、既に下山する人と、
すれ違い、何とも複雑な思いがした。

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だが、彼らはツアー団体の人たちで、
これから西安まで行き、西安観光をするため、
急いで行程を消化していると勝手に納得した。

私は、今回西岳華山登山のためだけに、
上海から飛行機に乗ってきたなどと、
自分の立場を正当化するために言い訳をした。

現に、私の後からでも、どんどん登山客が、
ゴンドラから降りて来ており安心した。

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「西岳華山の旅7」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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ロープーウェイ乗降場より100mほど登ると、
華山北峰山小屋に向かう登山道へ出る。

昔、北アルプスなどでは山小屋の世話になり、
山に入ると3か所の山小屋で泊まった。

だが、若いから出来たという事も言えるが、
今なら北アルプス穂高や槍ヶ岳への縦走すら、
足が着いていかないだろう。

華山の北峰の山小屋で宿泊できることを、
知っていたとしても、泊まる勇気が湧かない。

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写真は、その北峰山小屋へ行く門の前に、
置かれた獅子像で、雄と雌が作られ置いてある。

銀行などの門の前に置かれている獅子像に、
比べれば、作り方も大きさも違うが、
雄獅子像の右前脚には手まりを押さえつけ、
雌獅子像の左前脚には子獅子がいた。

ロープーウェイの降り口が近く、
ワイヤーロープがギヤーと摩擦する音が、
ガタガタ、ゴトゴトと音が聞こえてきた。

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「西岳華山の旅8」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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北峰へ向かう登山道の両側のガードに、
沢山の南京錠でカギを掛けられている。

日本でも見る光景なのかは分らないが、
中国の観光地では、鎖に鍵を掛けて、
赤いリボンに、願い事を書き、
吊るした光景を見掛ける。

行楽地の欄干にカギを掛けておくのは、
記念のためだけではないようだ。

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日本の神社などでは願掛けのため、
おみくじや願い事を書いた紙を、
木の枝などにくくり付けるが、
そのような気持ちにも似ている。

若い二人がお互い愛し合う気持ちが、
いつまでも変わらないようにとの思いと、
離れないように鍵でつなぎとめる意味もある。

南京錠のカギは二人が、それぞれ持ち、
財布の中に入れておき、何かある度に、
鍵を掛けた時の気持ちを思い出すとか・・。

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「西岳華山の旅9」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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ロープーウェイを降りてしばらく石段を登り、
南峰や西峰・東峰、また右側へ歩けば、
北峰からの登山道が合流しており、
観光客も多く休憩していた。

ロープーウェイを使わず、登山道を、
登って来る人たちもいたが、私には、
そのような芸当は出来ない。

華山の登山道は、唐代に作られ、北峰から、
尾根を伝って南峰に到る登山道を、
80年の歳月を使い、作って来た。

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勿論、現在のような石をセメントで、
固定し、鎖で道案内を施したのは、
ごく最近のことである。

北峰へ向かう登山道に記念亭と、
彫られたアーチが設置されていた。

もうすぐ行くと北峰ホテルに着く。
1800mほどの地点に造られたホテルだが、
ヘリコプターで資材を運んだとはいえ、
人力の程は、想像を超えるものがあった。

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「西岳華山の旅10」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山の北峰へ向かう途中に、
変わった今まで見た事がない獅子像に、
出会って何枚もシャッターを切った。

下の雄獅子像は左前脚で抑えるマリは、
一般の獅子像と変わりないが、獅子の、
顔の作りが何とも面白い。

上の雌獅子像では、子供の獅子が、
母親獅子に戯れる姿が面白い。

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今まで子供獅子が母獅子の胸に、
しがみつく姿は見たことがあるが、
口移しに甘える子供獅子の姿は、
初めて見たので暫しの間足を止めた。

下の写真は、山麓から登って来る、
ロープーウェイと降りて行く姿を、
望遠レンズで撮影した。

今回携行したカメラは1台だったが、、
レンズは3本持ってきた。

カメラバッグに入れて持ち歩くも、
ズシリと重たくなって来ていた。

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「西岳華山の旅11」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山は中国五岳の中でも一番、
険しい山として知られている。

ロープーウェイの設置は切望されて来たが、
工事は難航する事が想定され、
設置計画は何度も変更された。

1993年頃よりロープーウェイの計画。
1994年より2年半の歳月をかけて、
1996年にロープーウェイは稼働を始めた。

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ロープーウェイ設置は、中国独資では、
その当時の技術では難しくシンガポールの、
企業と中国華山管理局の合資で進行された。

ロープーウェイの設備はオーストリア製。
オーストリアのロープーウェイ設備は、
定評があり、アジアからも売り込んだが、
シンガポールの企業の最後の一押しで決定。

日本のロープーウェイ技術も定評があるが、
最終オーストリアの設備を導入した。

写真は、登山道脇に打ち込まれた道案内の鎖。

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「西岳華山の旅12」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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「旅客止歩」と書かれた注意書きだが、
日本語に訳せば、登山者立ち入り禁止。

私が20代に登山をしていた北アルプスでも、
古い登山道や、よく事故が起きる登山道に、
立ち入り禁止の注意書きがしてあった。

だが、注意書きの立札の向う側が知りたくて、
わざと人目を盗んで乗り越えたものだった。

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登山客が何十年も入っていない事もあり、
岩には苔が生えている個所もあった。

身の安全を確保する鎖は錆びつき、
相当、長きにわたり人の往来がない事が、
分かったが、そんな事が分かってしまうと、
恐怖感が先に立ち、とても前進する気にならず、
来た道を引き返し、皆が登る道を登った。

写真は、南京錠や華山登山記念の布テープ。

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「西岳華山の旅13」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山の登山道脇の鎖に、
掛けられた南京錠は登山客や、
旅行者が自分たちで用意するのかと、
思いながら北峰に向かい歩いていた。

しかし、その疑問は直ぐに解けた。
登山道の脇で南京錠が売られていた。

若い二人に限らず、将来に不安を感じ、
気分転換をしに険しい華山へ来た人や、
今の幸せを保ち続けたいと願う人達にとって、
売られている南京錠は悩むことなく、
購入し、願いを込めて鍵を掛ける。

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南京錠には、具体的な願い事が彫られ、
目にした者の気を、そそるようである。

道教の国、中国の人々にとっては、
このような、具体的な物での願い事は、
その気のない人たちを衝動的な気分にさせる。

日本でも神社などで願い事が書かれた絵馬を、
買い、ぶら下げるような心理にも似たり。

南京錠には「昇進し金持ちになる」とか、
「思いが成し遂げられるよう」また、
「一家が平和で幸せでありますように」

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「西岳華山の旅14」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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中国人の中で「金庸」を知らない人はいない。
それほどに著名な金庸が書いた華山論剣の、
文字が石碑に彫られていたが、ここが北峰だ。

多くの中国人が、金庸の石碑の前で、
記念撮影をしていたが、その合間を縫って、
撮影した一枚が、上の金庸の石碑画像である。

金庸は浙江省で生まれ香港で武侠小説活動し、
多くの人に読まれているが、記者でもあり、
文化大革命では真の目的が劉少奇打倒にあり、
終末期には林彪の失脚をそれぞれ予言した。

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金庸は政治評論家としての才能も発揮した。
1999年より浙江大学の人文学院長を務めた。

金庸は武侠小説の第一人者であり、長編物は、
12篇書いており、中編小説は3篇を発表。

作品の多くは香港で、映画化されている。
日本でも長編・中編と出版されている。

中国一険しい場所での人気ある北峰に、
金庸の華山論剣の石碑が建ち違和感はない。

上の写真は北峰頂上に建てられた案内石碑で、
下は、北峰から少し下った所に造られた廟の、
門から、中岳への方向を撮影した。

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「西岳華山の旅15」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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華山北峰から中峰・西峰へ向かった。
北峰へ登る途中まではロープーウェイを、
利用できたので、疲れはさほど感じなかった。

北峰から下り、休憩所の中を通り抜け、
中峰方向へ登って行くと前方に、
見えてくるのが、道教の廟の裏側。

中国の五岳と呼ばれる山には、
それぞれ道教の廟があり、どんなに、
有名な山であったとしても、
道教の廟がなければ、五岳に入っていない。

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下の画像は、険しい山道を荷物を担ぎ、
中峰途中の山小屋まで食物を運ぶ人である。

荷物の重量も40キロほどになり、天秤棒の、
前後に荷物を分けて、担いでいるが、
慣れても、一気には運ぶことが出来ない。

少し登っては休み、また荷物を担いで登る。

ヘリコプターでは、経費が膨大になり、
この人たちがいなければ、山小屋では、
登山客に対して何もサービスができない。

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「西岳華山の旅16」

「中国写真ライフ」では、
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西岳北峰から下り休憩所の中を通り抜け、
中峰方向へコンクリートで固めた登山道を、
歩いて行くと、暫くして金庸が題した、
華山論剣と彫られた石碑と出会った。

北峰の山頂付近だけに金庸の石碑が、
建てられているものばかりと思っていたので、
白セメンで綺麗に塗られた石碑を撮影した。

その折に、食料品類を肩に担ぎ、一歩ずつ、
石段を着実に踏みしめて登る中国人が、
私の横を追い抜いて階段を登って行った。

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私は、旅に出る3週間ほど前から、体力を、
付けるために、仕事が終わってより、
8階建てのマンションの非常階段で運動をする。

時間にして50分ほどだが、階段の上り下りは、
夏ともなると、汗が吹き出し、階段の上に、
汗の雫が落ち、6段毎に雫の輪ができる。

8往復から10往復するので、途中で嫌になるが、
雫の輪を見つけては、もう少し頑張ろうと、
自分に言い聞かせながら上っている。

だが、体重が4キロでも肥ると足が辛くなる。
自分の前を行く人は、肩に40キロ以上の荷物を、
担ぎ石段を登るので、汗が落ちているのにも、
納得をしながら、シャッターを切っていた。

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「西岳華山の旅17」

「中国写真ライフ」では、
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西岳華山へ登った日は天候に恵まれた。
上海の中国友人の話では、雨や霧に遭い、
足下が悪く、大変怖い思いがしたと話していた。

だが、山での撮影は、少し霧がかった方が、
絵になるのであるが、険しい華山では、
岩山を登るようなところもあるので、
一年に120人ほどが転落事故死がある。

華山の山並みは険しく、奇峰がそびえ立ち、
中国で最も険しい山といわれ、無理は禁物。

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古くから、華山には道は一本しかなく、
その登山道は非常にせまく険しい道の連続である。

今回の旅では、最終危険とされるところへは、
行ってはいない。怖いというより、ふくらはぎの、
けいれん発作により、断念してしまった。

登山道の脇に安全を確保するための鎖には、
多くの南京錠が掛けられている。

鍵は各自持ち帰っているので、
開けることはできないが、恋人同士で、
誓った願いの南京錠ならば、
結果の良し悪しは別にして、いつまでも、
二人の心に残り続けるのでは・・・?

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「西岳華山の旅18」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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華山に限らず、どこの山の岩には、
文字が彫られており、彫った文字の中に、
赤か黒の塗料が塗られている。

上の画像の文字は「正義戦勝」と彫られ、
彫られた年号を見てみると民国34年8月18日。

民国34年は、民国最後の年号である。
この1ヶ月半後に中華人民共和国が建国した。

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旧日本軍が中国を侵略したが敗北した。
その後、毛沢東の共産党と蒋介石の国民党との、
内戦のつづきが始まり、共産党が勝利を得た。

華山の岸壁に正義戦勝と共産党が彫った。

下の画像は、光緒23年に書かれ、日本では、
明治30年ごろに当たるが、殆どが清朝から、
中華民国時代に彫られたものが多い。

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